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■思いついたことを忘れないうちに書いておこうと思います。勝手なことを書いています。
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2010年4月5日(月)
「清水の次郎長、上下巻」を読んだ

黒鉄ヒロシ著(コミック)「清水の次郎長、上下巻」文藝春秋 各¥1,524+税 を読んだ(見た)。

内容はコミックだから、黒鉄流ギャグがイッパイだが、歴史的資料の裏付けがあり、ギャグをのぞけばノンフィクション的内容。
だから漫画やドラマによくあるイケメン次郎長ではなく、残っている写真の次郎長をモデルにしている(とても良い)。

私の次郎長に関する知識は、ほとんどが時代劇からのもので、実物とは程遠い小説的なものだ(おそらく)。
私のすくないノンフィクション的知識は、清水港の発展に寄与したこと、山岡鉄舟と交流があったことぐらい


「いったい清水の次郎長とは?」という興味があって読んだ。

「森の石松のこと」「荒神山のこと」「黒駒勝三のこと」「大政、小政のこと」
「山岡鉄舟とのこと」「お蝶のこと」・・・が資料をもとに画かれている(講談ではない)。

カッコよく男を売った逸話も、素早く損得の計算をしたうえでの行為だった。
そういうことが瞬時に判断できてしまう男だった。と描かれているところも気にいっている。

また漫画が良い。
おそらく黒鉄氏の筆はかなり早い(そうでなければ、プロとしてやっていけないだろう?)
荒い筆のカットでもとても良い。私は絶賛だ!

ばんばよしひろ
2010年3月3日(水)
黄昏にまぎれて浜松を歩く。

2月27日(土)私用で浜松にいた。
ひさしぶりの浜松なので街を歩きたくなった。

午後6時、黄昏にまぎれて浜松を歩く。
浜松駅の退社時間の乗降客の喧騒。外人が多い。出稼ぎに来た人達だろう。

浜松はヤマハやスズキ(自動車)の発祥の地。
ホンダも浜松近くの天竜市が発祥だといわれている。

新幹線側から駅を出て、松菱方面へとブラブラ歩く。
今は松菱デパートは営業していない。ビルは灯りもなく黒々と建っている。

にぎやかな大通りを一本なかへ入ると、歩いている人が少ない。肴町あたりだ。
日が暮れた。

このあたりの街の雰囲気はとても良い。
衣料品店(ブティック)と飲食店が目立つ。

飲食店は気取った店ばかりではなく、居酒屋、うどん屋、焼き鳥、バーなどが眼につく。
衣料品店は、こじんまりとした洒落た店が多い。

飲食店と衣料品店の混ざり具合がとても良い。
街灯は明るすぎず、適当だ。
歩く人の数も多くなくて、私にはきもち良いが、商売にはこれでは大変だろう?

ブティックのウインドウ越しに中をのぞく。店員が接客をしている。
ウインドウのディスプレーをボンヤリ眺める。

15年ほど前にも、こうして歩いた記憶があるが、今よりもガサツいていたように思う。
今はシットリと落ち着いた感じがする。

街の感じは歩いてる人自身の気分にも左右される。
落ち込んでいる時は、街の賑やかさがツライときもあるだろうし、
「あなたと歩いた初めての夜」なら、どこの街でも素敵に見える。

イッパイやりたい気分だ。
入ってみたい店もあったが、クルマの運転があるので我慢をした。

ばんばよしひろ
2010年1月28日(木)
七里御浜に横転したフェリーを見る。

昨年の12月27日、三重県、熊野灘の七里御浜へ行ってきた。

私は正月前後に知多(愛知県)の海を見に行くことを恒例としている。大した意味はない。
今回は足を伸ばして熊野とした。

国道42号は好きな道でもある。
せっかく熊野まで行くのだから、最終到達点を、
あの座礁横転したフェリー「ありあけ」の正面の海岸に決め、朝9時30分、家を出る。


途中、寄り道をしたので熊野へは17時近くとなってしまった。
12月の17時は日暮れギリギリ。
「なんとか日没前にフェリーを見ることが出来るだろう?」と時間を甘く見ていた。

七里御浜沿いの国道42号線は、浜との間に堤防と防風林をはさんでいる。
クルマから浜が見えない。
途中、フェリーの位置を確認しようと浜に降りてみた。
日暮れと曇り空で見通しが悪い。

七里御浜は約20Kmも続くダイナミックな浜だ。
晴れている日中でも鵜殿あたりは霞んでいる。

浜から鵜殿方面を見ると、なにやら黒いものが見える。
浜の続きの出っ張りのようにも見える。

「おそらくあれだろう?」と目標を定めて、国道をクルマで接近することにした。
勘を働かして、「このあたりだろう?」と路肩にクルマを止めて、浜へと急ぐ。

空は薄黒く曇ってきた。
堤防に登ると斜め左前方にフェリーが見えた。

フェリーは1万トン近い。距離感を狂わせる。
堤防から見えているので、歩いて正面をめざすのだが、なかなか近ずかない。
思わず堤防から浜に下りる。丸い石が多くて歩きにくい浜をフェリー正面をめざす。

雨が降りそうな陰険な空、暮れる寸前の夕闇のなかフェリー正面の海岸に着いた。
風が出てきた。足元の海岸に波が砕ける。海岸に人影はない。私だけだ。

フェリーは波打ち際から300mぐらいの沖合いに船首を海岸に向けて横転していた。
フェリーと私しかいない海岸。シュールな感じがした。

こんなかたちでフェリーを見たことは今までない。
おそらく、もう無いだろう?

ばんばよしひろ
2009年12月28日(月)
「企業30年説」を越えて。

「企業30年説」というのがあるそうです。
企業の寿命が平均すると30年(35年だったかな?)だというのです。

ひらめいたり研究をして、世のなかから支持される商品を作り出し、
資金を集め、人を集め、何度かの危機を乗り越えて30年(平均)で終わるわけですね。

なにか、苦労するために起業するようですが、長い間には、お客さん、同士、従業員、取引先、金融機関・・・との間に心が震えるような喜びを味わうこともあるのでしょう?
そうでなければ、むなしい営みに思えます。

そんな中に驚きの企業があります。すこしご紹介します(中日新聞、サンデー版より)。


司牡丹酒造(株)つかさぼたん
高知県佐川町、清酒等製造販売
慶長8年(1603)創業

関が原の戦いから3年後です!
土佐藩主席家老、深尾氏に従って佐川に来た酒屋だそうです。
何処かで名前を見たような気がします。飲んだことはありませんが、飲みたくなりました。

(株)なが餅笹井屋 ささいや
三重県四日市市、和菓子製造販売
天文19年(1550)創業

私も食べたことのある、餡子のはいったお餅(うまいです!)。
長細く平ぺったい形をしていて、餅の表面がうっすらと焼いてあるところが良い。
日持ちはしない感じですが、日持ちがしてウマイものなど無理というものだと思います。

あの藤堂高虎が足軽時代に食べて出世したという逸話があります。
天文19年といえば織田信長がいたころです。


●(株)岡本(株)ナベヤグループ
岐阜市、鋳物・機械工具製造販売
永禄3年(1560)創業

あの「桶狭間の戦い」の年に創業!精密機械から梵鐘までてがける。
当時の当主は信長を見たかもしれませんね、
信長は安土城以前には岐阜城(当時は稲葉山城)を居城として活動しました。

●アオキトランス(株)
静岡県清水区、港湾貨物、海運貨物とりあつかい
元和元年(1615)創業

大阪夏の陣で清水から兵器、兵糧を運んだという物流会社。

(資)塩瀬総本家 しおせそうほんけ
東京都中央区、和菓子製造販売
貞和5年(1394)創業

初代林浄因(りんじょいん)が中国から来日、奈良で日本初の饅頭を作り、宮中に献上。
京都に移って、足利義政(銀閣寺を建てた将軍)からひいきを受けた。
当時の文献にも「塩瀬」の名前がみえる。

屋号「塩瀬」は応仁の乱での疎開先、三河・塩瀬(現、新城市)に由来する。
愛知県人としてはちょっとウレシイがね!
今は東京なんですね。

西川産業(株)
東京都中央区、寝具類の製造卸
永禄9年(1566)

初代西川仁右衛門が蚊帳、生活用品の製造を開始。
楽市楽座のはじまった近江八幡に出店。楽市楽座ですよ!
布団で有名。

(株)ホテル佐勘(さかん)
仙台市太白区、温泉旅館
平安時代創業

なななんと!平安時代ですよ!環境保全活動に積極的だそうです。えらい!


ばんばよしひろ

2009年7月25日(土)
愛知県瀬戸の街を歩く!

先日、私の散歩道のひとつ、愛知県瀬戸の街を歩いた。

「瀬戸物」の語源となった陶磁器の町だ。

瀬戸には二つの商店街がある(末広商店街と銀座商店街)
そのひとつ、銀座商店街の活性化をねらってか?催事が行われていた。

商店街を飾りつけ、たこ焼きなどの屋台も出て、ひさしぶりに賑わっていた。
私は商店街びいきだから、こういったキッカケで、お客さんが来るようになればウレシイ。

「銀座商店街」とは、いかにもローカルな名前の商店街だが、
きどった今風の名前の商店街も、逆にもっとローカル的悲哀を感じさせる。

「銀座商店街」とはシミジミとしたローカルを感じさせて、今は好きだ。

イベントが二箇所であった。
ひとつは、30代後半?の男性がマイクスタンド1本で、ギターをひき、
古いフォークソングを歌っていた。

もうひとつは、「いきいき80歳」と銘打って(確か?)
たたみ2畳ほどの低いステージ(ステージというほどのものではないが)で
オジイサンが「かっぽれ」を踊っていた。

「かっぽれかっぽれ、よーいとな、よいよい」の掛け声ではじまる、あの「かっぽれ」である。
80歳以上とは思えないほど。足腰のしっかりした踊りだった。
何人かの80歳以上の方が、自慢の芸を披露するというイベントのようだった。

意外だったのは、それを見ている(聴いている)客の数だ。
「いきいき80歳」のほうが多いのだ。
30人ほどの人が見ていた。そのほとんどは年寄りだ。
ひょっとすると出演者の知り合いたちだったかもしれない。

フォークソングのほうは、まともな観客は一人だったのではないだろうか?
あとは関係者や、近くの商店の人のように思えた。
歌そのものはウマいとは言いがたいが、聴けなくはない(えらそうに)。

この商店街の催事そのものが若い人にうけなかったのかもしれない?
「催事=若者を誘引」は考え直した方が良い。
「主催者側が描く催事のイメージと、参加したい人のイメージがずれている?」と思う。

これからの催事のお客さんの想定は、オバサンやお婆さんがいいと思う。


ばんばよしひろ
2009年7月18日(土)
TV「カンブリア宮殿」を見た。

TVの「カンブリア宮殿」村上龍、小池栄子司会 を見た。

今回は広島県の呉、「新光時計店」店主、松浦敬一氏だった。
昔ながらの時計屋さんのように見えた。

静かなオットリした物腰の松浦氏は、知る人ぞ知る、スゴ腕の時計修理人らしい。

彼をたよって海外からも、思い入れのある時計の修理依頼がくるという。

「ひとつの時計の修理が終わると、近くの海を見に行くんです。」と言っていた。 
わかる気がする。


この番組は企業の名物社長などへのインタビューが多い。
今回のような一職人をとりあげたのはめずらしい。
出来ることなら、これからも、ときどき、松浦氏のような人を取り上げて欲しい。

松浦氏は質問に答えて、

「修理代は基本的に時計の価格の1割としています。
修理出来なかったときは代金はいただきません。」

「儲かりません。部品を探すだけで1日を費やすこともありますから・・・」
そうだろうと思う。

夜の仕事場で、修理できた時計を送り返すのに、手紙を書き添える松浦氏が良かった。

出来ることなら、彼の仕事へ、よりよい評価
(もちろん対価のこと。心情的な評価はすでに高い)をしてほしいと思う。
(余計なことだったかな?)。



ばんばよしひろ
2009年6月13日(土)
「かかみがはら航空宇宙科学博物館」へ行ってきた。

009・6・6(土)、「かかみがはら航空宇宙科学博物館」へ行ってきた(公式ウエブサイト)

岐阜県各務原市にある。近くに川崎重工の工場や航空自衛隊各務原基地がある。

博物館の屋外にはYS-11旅客機、US1A2飛行艇、 P2-J 対潜哨戒機、
V107A輸送ヘリコプター、などが露天展示されている。

US1A2飛行艇、 P2-J 対潜哨戒機は露天にもかかわらず、とても良い状態だった。

格納庫を利用したとおもわれる展示室に入ると、
かすかにオイルの匂いがした。良いねえ!匂いは大事なのだ。

展示内容はすこし川崎重工色が強い(川崎重工が関わりが深いのかもしれない)

天井がすごく高い一階建て(平屋、天井が屋根)の展示室には UF-XS実験飛行艇、
T−33ジェット練習機、T−2ジェット練習機、F−104Jジェット戦闘機、
各種ノヘリコプターとグライダーなどがならんでいる。

私は飛行機が好きだから、この博物館が出来て、
スグにでも行けばよさそうなものだったのだが、ようやくにして来ることができた。

私の好きなのは第二次大戦以前(第二次大戦も含む)の飛行機だ。
展示機は戦後のものが多いので二の足をふんでいた。

この博物館に限らず、日本の飛行機の展示は戦後の機体がほとんど。
敗戦国の弱みか、古い物を大切にしない現代日本人の習性か?

ただ、複製だが、旧陸軍乙式一型偵察機(サルムソンSA-2のライセンス生産機)、
ハンス・グラーデ単葉機、二機とも実物大の機体が展示されている。
私にはとても魅力的。

第二次大戦以前のものは模型が展示されている。
三菱92式重爆撃機(4発の金属製飛行機、ユンカースG38大型旅客機のライセンス生産 )などはアニメの宮崎駿氏が好きそうだ。

私は進歩途中にあるものにひかれる。
不完全かもしれないが、開発者の思いがいろいろと試されるので、
それぞれがとても個性的だ。

完成形に近ずくと、どれも同じような形になる(飛行機にかぎらないが)。
今のジェット旅客機をみればわかる。私にはつまらない。

複葉機も好きだ。上下二枚の主翼をワイヤーでつないだ構造、その華奢な風貌が好きだ。 
羽布張り(骨組みに麻布を張り、塗料を塗ったもの。複葉機に多い)の構造は提灯や行灯を思わせる。
初期の飛行機の機体は木と布で出来ていると言っていい。

展示機は戦後のものが多いが、ジックリ見てきた。やっぱり私は飛行機が好きなのだ。

   ばんばよしひろ      
                                       
2009年5月7日(木)
息詰まる五平餅!

「ちょっと、まずいかな?」
入り口のアルミの引き戸を開けたときに思った。
電気がついていない。人の気配が無い。
岐阜県、瑞浪(みずなみ)の五平餅やでのこと。

左に居酒屋のようなカウンターに椅子が4つ。カウンターの内側に調理台。
通路をはさんで、右側に2つのデコラ張りのテーブル。12人で満席の小さな店だ。
やっていないようだから、ヤメようか、と思った刹那、


「はい、いらっしゃい」とくぐもった声がして、おばさんが暖簾をわけて、奥から現れた(私は充分におじさんだが)。 
店に客はいない。
私を見て、「あっ 客だ!」と思ったのか?おばさんは天井の蛍光灯をつけた。

テーブル側に腰をかけ、「いいですか?」と私は声をかけた。
「営業していますか?注文してもいいですか?」の「いいですか?」である。「ハーイ」の返事。
「五平餅を2本下さい」「ハーイ」とオーダー終了。

「1本にしとけば良かったかな?もし、マズイときのために、」と思ったが、
「大の男の客が、五平餅を1本かよ?
1本のために、大人がひとり、かかりっきりで、ガスをつけ(おそらく、ガスコンロは業務用の横長の火の噴出し口がたくさんあるやつ)、お茶を出さなきゃいけない。採算われだは!」と、
おばさんが思うかもしれないと、2本にした(さしてかわらないが、2本以上は食べれない)。
細かいはなしだ。

ここで、五平餅をご存知でない方に説明する。
ご飯を軽くつぶし、半餅状にして、平たい木の板にくっつけ、大判型にする(みたらしのように、串に丸い小さいのを3つほど刺すところもある)。
それをクルミだれ(クルミ、すり胡麻、みりん、砂糖、醤油などで作る。)をつけ、焼く。
東濃(岐阜県東部)で昔からある食い物。
かつては、ご馳走だったときいたことがある。

すこしして出てきた五平餅は標準的な味だった。
モグモグと食う。
私以外に客はない。シーンとしている。
「ング」と五平餅をのみこむ音が、めだつほどの静けさが店を支配している(支配しているなんて文学的?)。

「景気はどうですか?」などと世間話をする気もないので、無言で食う。
おばさんとおじさん(私)は小さな店に2人きりだ(変なことを想像しないように)。
すこし息ぐるしくなってきた。

「あっそうか!食い逃げをされるのを恐れて、おばさんは私から目が離せないのだ?」と想像して、「先に勘定して」と金を払った。

客側からいうと、本当はこれはしたくない。
金を払いおえた客は、追加の注文の可能性がなくなるので、店側からすれば客としての価値が半減する。
店側はなんとも思っていないかもしれないが、居心地が悪くなる(面の皮が厚い人は、このかぎりではない)。こちらは最期まで客の立場を維持したいのだ。

おばさんは安心したかどうかわからないが、店に居続けた(奥にひっこまない)。
「勘定をすましても、ひょっとすると、まだ注文があるかも?
ひさしぶりの客だから、すこしでも売り上げなきゃ!」と思っていたのかもしれない。

私以外にお客がいれば、意識が分散するので気が楽だが、1対1ではそうはいかない。
「おじさん、モグモグ、おばさん、ジーッ、」が続く。

「ここ1週間、お客が来ていない。おばさんとしてはやる気も失せていた。
店の電気も点けたくない。
1週間、ひとりの客もこないと、もう、永遠に来ないような気分になる。
希望があるうちは、人はがんばることが出来るが、あきらめが心を占領すると、なにをしても無駄という感じになるのだ。
そんなときに、変なおっさん(私のこと)?が入ってきた。胡散臭そうなおっさん。
食い逃げをするかもしれない?ついていないときは悪いことが重なっておきるものだ。
逃げないよう見張ってなくちゃ。」と私はおばさんの心境を想像した。

店の前の通りは人が通らない。以前はもっと人通りがあっただろう。
ご多分にもれず、この商店街も衰退方向だ。
この店も商売になっていないように思う。
私は商店街が好きだから、この消費の極端さに腹がたってくる(私ではなんともならないが)。

脱線してしまった。

なんとか、2本を平らげると、店をでた。
ぼんやりとした春の瑞浪商店街の、それは、息詰まる30分だった。


ばんばよしひろ
2009年4月8日(水)
大相場は絶望の中で生まれる?

「大相場は絶望の中で生まれ、懐疑の中で育ち、楽観とともに成熟し、幸福とともに消えていく。」株の格言だ。 川柳もオモシロイと思うが、株の格言も良い(オモシロイ!)。
ことが金にまつわることだけに、現実感がある。

こんなのもある。

「ブル(雄牛のこと、ここでは上昇相場)は階段を一歩一歩のぼってくる。
ベア(熊のこと、ここでは下落相場)は窓を蹴破って逃げていく。」
もし、お時間があるようなら、株の格言集などをのぞいて見られたら、いかがでしょうか?

「皆が株価に絶望していると、山奥から、オジイサンが大きなバッグを抱えて、
証券会社にやってくる。
バッグの中の金をすべて株に変えると、来た道を帰っていく。

時はめぐり、猫も杓子も株を買って、沸き立っていると、
山奥から、オジイサンが大きなバッグを抱えて証券会社にやってくる。
株をすべて売って、金をバッグにつめると、もと来た道を帰っていく。」
という「伝説のオジイサン」の話がある。

ところで、株価はそろそろ底でしょうか?
もうオジイサンはバッグの金を株に変えて、帰っていったかもしれません?
それとも・・・・

ばんばよしひろ
2009年3月1日(日)
ドラマスペシャル「白洲次郎」を観た。

NHK総合、ドラマスペシャル「白洲次郎」を観た。
すごく良かった。「テレビで、ここまで出来るのか?」というぐらい良い。
ヘナチョコな映画など、吹っ飛んでしまうぐらい良かった。
「これは真実をもとにしたフィクションです。」と終りに出るところに、スタッフの意気込みが感じられた。(大河ドラマは1割の真実、9割のフィクションだと思うが?)

丁寧につくられた作品だと思う。
例えば、主演の伊勢谷友介(白洲次郎役)、中谷美紀(白洲正子役)の英語が良い。
おそらく、何度も発音を修正させたのだと思う。
(白洲次郎、正子は流暢な英語を話した。次郎はアメリカ人のGHQ高官の発音を注意しているぐらいだ。)
流暢な英語を話す役の設定で、下手な英語ですましている映画もイッパイあるが、
この作品では手を抜いていない。

ベントレーが出てくるが、これも本物である(年式、モデルは異なるかもしれない?)。
しつらえに神経が行き届いているのだ。
「映画は所詮、作り物だから、それを本物と錯覚させるためのしつらえがいる。」と私は思う。
当然、撮影に使われた家、小道具、衣装も良い。

映画「赤ひげ」の小道具、薬棚(引き出しがイッパイあるやつ)は引き出しの中も、
薬の粉がへばり付いた感じに仕上げてあったらしい(映らないところだ)。
それを作ったのは、黒澤明が信頼する黒澤組の小道具スタッフだった。という話を思い出した。
話をもどす。

この「白洲次郎」の企画を推し進めたスタッフに敬意を表する。(もう、ベタホメだ。)
あえて、欲を言えば、白洲次郎のカッコイイところばかりなのが気になるのだが?

白洲次郎は吉田茂の懐刀といわれたハンサムだ。もう、ご存知だろうから、多くは書かない。
ここでは、父親とおじいさんのことを、すこし。

父親、白洲文平
戦前に、綿貿易で莫大な財をなした怪物である。白洲将軍と呼ばれた。
建築道楽で、自分は住むつもりもない豪勢な邸宅を建てるのを楽しんだ
(今でも阪急沿線に残っているらしい。白洲御殿と呼ばれているらしい)。
その後、破産!阿蘇の近くで亡くなった。
手伝いのおばさんが、一人で亡くなっている文平を見つけたという。

テレビでは奥田瑛二が演じた。
最近の奥田瑛二は良い。監督業が忙しいらしいが、本当に良い役者になったと思う。
余談だが、私が今、住んでいる町の出身である。

おじいさん、白洲退蔵
幕末、三田藩の儒官で、のち家老を勤めた。
財政破綻していた藩のために活躍した(評価はいろいろあるらしい)。

自分を認めてくれた藩主、九鬼隆義(隆義は家来である退蔵の下座にすわって、藩政への参加を要請したらしい)の最期に付き添って看病をし、
その看病疲れがもとで、まもなく発病、亡くなった。まるで、殉死のようだ。

次郎はもちろんだが、おじいさんも父親もドラマのネタになるような人だ。

ばんばよしひろ
2009年2月19日(木)
ヒラリー・クリントンはかっこ良い!

来日したヒラリークリントン国務長官はカッコ良かったですねえ!
胸をはり(良い姿勢とは、こういうものだ!)、笑顔を絶やさず、落ち着いた口調、
言いたいことは遠慮せずズバリ。
「国を代表するとは、こういうことよ」と言っているようだ。
オバマと大統領候補を争っただけのことはある。
オーラを感じた(旦那以上だ。私は普通、オーラを感じないのだが?)。ほめすぎでしょうか?


まずは、明治神宮を訪ねて、神官のひとりひとりと握手
(彼女は日本神道のことは解らないと思うが、日本人でも解らないのだから)。
日本の大臣と皇后と会見。拉致被害者家族と会見など、
日本国民にどう映るのかを考えた演出だ。
この脚本を書いたスタッフの優秀さを感じる(ヒラリーも加わったのだろう?)。

「日本との関係を重くみていますよ!」と言うことが、よく伝わった
(今、アメリカは大変だから、お金をガッポリ、期待していますよ。お互い、仲良くやりましょうね。という意味か?)。

こんなジョークが流行ったことがあった。
『ドライブ中のクリントン夫妻。「お前はオレと一緒になったから、今や、ファーストレディーだ。」
とクリントン大統領。
すると、ヒラリーが「なにを言ってるの?あそこに見えるガソリンスタンドの店員が、私と一緒になっていたら、彼が大統領になってるは!」』
今回のヒラリーを見て「なるほど」と思う。

「外人は良くて、日本人は良くない」と言っているのではない。誤解なきよう。

ばんばよしひろ
                       
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