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■思いついたことを忘れないうちに書いておこうと思います。勝手なことを書いています。
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2009年1月12日(月)
チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」のCDを買う!

チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」のCDを買う(私はクラシッックファンではないが)。
この交響曲の初演をチャイコフスキーみずから指揮して、9日後に急死した。
自殺の可能性
など諸説ある。いわくつきの交響曲だ。

チャイコフスキーはウツだった。という説がある。
実際、第4楽章を聴くと「なるほど」と思う。
余談だが、楽しい(明るい)音楽だけが魅力的な音楽ではない。
悲しみも、暗さも(絶望も)魅力的な音楽の要素となりうる。
例えば、加山雄三と井上陽水との違いといえばいいだろうか?(例えが平たいなあ!)

昨年末に小澤征爾指揮のベルリンフィルか?ウイーンフィル?(いい加減な記憶)の演奏を聴いて「良い!」と思ったのがCDを買った直接の動機だ。
私が子供のころ、年の離れた兄が聴いていたレコードの旋律を、なつかしいと思ったことも背中を押した(兄は一時、クラシックファンだった。おそらく、恋をしていたのだろう?)。

そしてもうひとつ、今の世相にも合いそうな気がしたからだ。
自由経済(アメリカ型自由競争経済、自由という言葉がクセモノなのだ!)のドンずまり混乱の閉塞感がただよっている今だから。

世相をいろいろと取り上げて、「時代は変わる」と強調して(脅して?)、
「だから我が社の提案を取り上げて下さい」というのは提案書や企画書によくある手だが、
今回の混乱は「時代は変わるぞ!変わらざるをえない!」と本当に思わせる。
そして、どう変えていくのか?これだ?という案がないのが、強い閉塞感を感じさせる。

それとも、人間は性懲りもなく、振り子のように、欲の限界と揺り戻しを延々と続けていくのかもしれない?

まず深呼吸をして、チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」を聴いてみよう!

ばんばよしひろ
2008年9月26日(金)
怪物に行き着く?

 オートマタの配役(キャラクター)を考えていると、私は<怪物、妖怪、化け物>に行き着く(以下、怪物とする)。

擬人化はよく使う手法だ。動物が人間のようなことをすると楽しさのツボにはまりやすいのだ。
それをもうすこし踏み込むと<怪物>に行き着く。


「怖い!気持ち悪い!」と思うむきもあろうが、そう思う人は実は<怪物>が好きなんだと思う。
「怖わーっ!、気持ち悪ーっ!」と楽しんでいるのだ。
「怖くもなんともない!」と言う人は<怪物>を楽しむことなど出来ないから。
なんともないのだから。

これでもか!の気持ちの悪い怪物は、あるときから滑稽に見えてくるから不思議だ?
怖さは紙一重でおかしさにかわる。

よくあるのが複合怪物。
ケンタウロス(人身馬体)、ペガサス(羽根馬)、スフィンクス(人頭獣体)、人魚(女の人身魚尾)、ミノタウロス(日本の天王社の牛頭神のルーツかな?)、女郎蜘蛛(人頭蜘蛛体)、狼男(ご存知)、ぬえ(よくわからない、けったいな怪物)、キマイラ(ライオン、雄ヤギ、蛇の複合動物。強引すぎて笑ってしまう。)、メデューサ(髪が蛇の女)・・・。

創作者が気味の悪い怪物をいろいろと考えたのだろうが、
まったく見たこともないものをひねり出すのはむずかしい。
見たことのあるものの部分を組み合わせて化け物を作った。
それを考えた人たちの創造力の限界が見えるようで、楽しい。

私のイラスト<スフィンクスの中身>を描くとき、スフィンクスの骨格を描こうと思った。
骨格から怪物をみると、無理のある怪物が多い(当たり前だが)。

ペガサスなど羽根のはえた怪物は多い。
ペガサスの羽根は前足の付け根(人間の肩あたり)から生えている。
そうすると肩に二つの関節があることになる。
羽根を動かすための強靭な筋肉がくっつく骨も必要だ。
だいいち飛ぶには重過ぎる(例えば、鳥はとても軽い構造の身体をしている)。

いろいろな怪物を見てくると、ハンス・ルーディー・ギーガーのエイリアンは良く出来ている。
想像のヒントがみえにくい。昆虫のようで、人のようで、人の部分のようだ。
これだけ得体のしれない怪物を作るギーガーの創造力はたいしたものだ。
ギーガーが考え出した他の怪物どれも、とても気持ち悪くて良い?

映画としての「エイリアン」は良かったのは1作目だけ(得体のしれなさがよく出ていた)。
あとはアホラシイ(どんな映画も1作目をこえるのはムズカシイ。)と私は思う。

ばんばよしひろ

2008年8月30日(土)
がめ煮のことなど

私が好きな料理の名前(名前が好きなのだ)。

「がめ煮」 筑前煮のこと。ガメニという語感が良い!初めて聞くと、「何それ?うまそう!」と思う。筑前煮などと気取らないで、「がめ煮」で統一してほしい。


「くつぞこ」、平目の煮物。煮姿が靴底に似ているので、こういうらしい。楽しいシャレを感じる。

「どて煮」、豚の内臓の味噌煮。土手のように味噌を配した鍋で作るからか?尾張の豆味噌で作るので(こげ茶色)、土手のような色をしているから?こういう名前がついたか?は不明。
下品でうまい。うまいものは下品だ。

「くぎ煮」、いかなごを醤油で甘辛く煮たもの。水飴をいれてテリを出す。実物を見ると、本当に錆びた釘のようだ。笑っちゃう!

「ぬた」、ねぎ、わけぎ、魚介を酢味噌あえにしたもの。沼田に似ているから、こう呼ばれたらしい。そのとうりでヌタヌタしている!

「冶部煮(じぶに)」、金沢の名物料理。鴨を削ぎ切りしたものに小麦粉をまぶし、醤油のダシで煮たもの。麩、青菜をくわえる料理らしい。小麦粉のおかげでトロミがでて冬にいいかもしれない。私は恥ずかしながら食ったことがない。
「じぶ」という語感が良い。「じぶじぶ」と煮られる感じがする。
石田三成は冶部殿と呼ばれたが、関係があるのかな?

「けの汁」、大根、にんじん、ごぼうを細かく切った味噌汁(醤油もある)。何日も温め直して食べるらしい。
はじめてその名前を知った時は「毛の汁」を思ったが、すぐにそんなことはないだろう、と思い直した。「けの汁」の「け」は「晴れと褻(はれとけ)」の「け」だと勝手に思い込んでいる。
「け」は日常のことだ。ということは「はれ」の汁があるのだろうか?青森の料理。

「じゃっぱ汁」、タラのアラ(じゃっぱと呼ぶ)大根など野菜いっぱいで煮たもの。「じゃっぱ」の語感が良い。これまた青森の料理。私はいまだ食さず。

「いぶりがっこ」、秋田のたくあん。かつては囲炉裏の上でいぶした大根を米ぬかと塩でつけたもの。これはうまい!なぜか名古屋地区で売っているのを見たことがない。
「イブリガッコ」と口に出してみると、秋田を感じるから不思議だ!

どうも、濁点がついている名前が私は好きなようだ?

ばんばよしひろ
2008年7月13日(日)
ロン・ミュエックの超リアルを見てきたぞ!

2008年7月10日(木)<ロン・ミュエック>の展示を観に、金沢21世紀美術館へ車でいって来た。
金沢21世紀美術館の公式ウエブサイトです。http://www.kanazawa21.jp/ja/

例によってのへそ曲がりコース。
往きは、一般道を、春日井>関>白鳥>ひるがの高原>白川村>城端>福光>金沢。
山を登り、川を渡り、谷を超え、という山のドライブ。

想定時間を2時間ほど余分にかかって金沢着。
私は目的地に早く着くことより、途中も楽しみたい。
それでも、日帰り予定の今回はチョットかかり過ぎた。

福光に良い商店街を見つけて、歩いてみたかったが、美術館での時間が少なくなるので、車窓から横目で見るだけにした。

このコースは白鳥〜白川村間が良い。御母衣(みほろ)ダムのダム湖、荘川沿いの景色が雄大だ。高原の気候なので、白鳥あたりからサラッとした空気になるのも良い。

御母衣ダムの近くに「帰雲城跡」がある。名前が好きだ。「雲かえる城」である。
荘川の向こう岸にそびえる山が連なっている。
以前、『あの山の頂上に城があったのかな?山の向こうを雲がながれる。「帰雲城」とはよくつけた。』と思っていたが、
実際はそんな高いところにはなく(当たり前だが)、手前岸の荘川沿いのところにあったらしい?

信長の時代、大きな地震で城は壊滅した。埋蔵金伝説がある城だ。
その城でかつて、どんなことがあったのか?興味がある。



ところで、RON MUECK(ロン・ミュエック)展だ。
グラスファイバーやシリコンを使って超リアルな人体を作る現代アート作家(この分野で紹介されることが多い)だ。

ロン・ミュエックの作品を見るのに参考です。<ブルックリン美術館でのロン・ミュエック展の写真>
http://www.new-york-art.com/Mus-brook-RonMueck.htm

裸体が多い。はだの艶、色、肉のたるみ具合、毛穴、一本一本植え込んだ髪の毛、など。本物と見間違えるリアル感だ。
そのリアル感のある人体は実物大はすくなく、3〜6倍の拡大体や1/3〜1/5ほどの縮小体でつくられている。
ロン・ミュエックの作品は全部で40体ぐらいしかないらしい(製作に時間がかかりそうだから、当然だろう。)そのうちの8点ほどが展示されている。

私がいいなあと思った作品を紹介する。
<その1>
ロン自身の顔と思われる5倍ぐらい拡大した顔(顔のみだ)。横向きに寝ている顔。
後ろに回ってみたが、頭も首もない、顔の表面だけがある。
重力の加減で顔の肉が下にゆがんでいる。半開きの口がリアルだ。
いくつかある展示室のひとつに1点のみ展示台に置かれている。

<その2>
実物の古ぼけた、黒い手漕ぎボート(遊園地の池などの貸ボートの大きさ)の前部に裸の男(ロン自身のようだ)が足をつま先立ちにして座っている。
すこし体をかたむけ、前のめりの姿勢。首を突き出し、腕組みをしていぶかしげ?に前を見つめている。
「ええ?何だ、あれは?」というような表情だ。

たるんだ肉は中年男のそれだ(かっこいいい人じゃないところが良い)。
大きさは1/3程度の縮小体だ。それが良い。
本物か?と思うほどリアルだが小さいのだ。見ている人の頭が混乱する。それが良い。
私としては、これが一番良いと思った。
いくつかある展示室のひとつに1点のみ展示台に置かれている。

<その3>
男と女が横向きに膝を曲げて寝ている。後ろから男がよりそうように。
女はグレイのショーツだけをはいている、男は白のTシャツのみでパンツははいていない。
若くない身体は贅肉がついている。
男の視線がどこかちがうところを見つめていて、意味深な感じがする。
大きさは1/5ぐらいの縮小体。
Tシャツもショーツもメリヤスのようだ(シワの感じからして)。繊維の細さ、縫い目や糸の太さに違和感がない。どうやって作ったのだろう?


これらの作品を作るには、観察とデッサン力、造形力(原型を作り、グラスファイバーで型をとり、修正して、実物に近ずける)、
人間の目は正確ではないから、やたら正確に作ると違和感を感じるが、それを修正するセンス、なにを作るかのセンス、が必要だと思った。

かつて、日本にも「生き人形」という超リアルな人形があった。
たしか、着物を着た若い女だったと思う。大きさは実物大。
これを見世物として、お金をとって見せていたようだ。

芸術としては扱われていなかった。芸術として扱われていなくても、芸術を感じるものは他にもある。と思う。

ばんばよしひろ
2008年7月7日(月)
ジョン・レノンのなにを知っていたのか?

私は若い時、「ビートルズ狂い」だった。
自分の多感な時とビートルズの全盛期が重なったことは、幸運だったと思っている。

最近、あるきっかけで他人の伝記を読みたくなった。すぐに思い浮かんだのがジョン・レノンだ。今はかつてのようにビートルズを聴かなくなったが、浮かんだのはジョン・レノン(以下、ジョン)だ。
悲劇的な死に方をしたジョンに自著型の伝記があるのだろうか?



私は「ビートルズ狂い」だったのだから、普通の人よりはビートルズを知っているつもりだった。

キャバーンクラブに出演していたこと。
初期のメンバーにリンゴスターはいなかったこと。
ビルボードやキャッシュボックスのトップテンを席権したこと。
ライブなどで気絶するファンが続出したこと。
音楽のちからで世界平和をめざしたこと。そして挫折。

日本公演の最初は「ミスター・ムーンライト」だったこと。
「日本公演を見に行った生徒は退学処分だぞ!」と学校から脅されたこと(今や、教科書にものっている。)。
後期のアルバムにエリッククラプトンが参加していること。
「サージェントペパーズ ロンリーハーツクラブバンド」がもっとも高い評価をうけたアルバムであること。
ジョンとポールの確執。などなど・・・・・・

しかし、その知識は当時のマスコミが流した通り一辺のものだときがついた。

ビートルズのことを知っているつもりだったが、四人のなかで、私が強くひきつけられたジョンのなにを私は知っていたのだろう?
なにを思い、なにに苦しみ、なにを頼りに、ジョンは生きたのだろう?
その意味では私はジョンのことをなにも知らなかったように思う。

あれだけ影響をあたえた人だから、幸いなことに多くの人がジョンについて書いている。
「ジョン・レノン ラスト・インタビュー」アンディー・ピープルズ 池澤夏樹訳 中公文庫 ¥495+税(死の2日前のインタビュー)。
「ジョン・レノン」河出書房新社 文芸別冊¥1,200。

まずは、この2冊からジョンに近ずこうと思う(すこしは)。そして、いつかの自分と出会うことにも、

ばんばよしひろ
2008年6月29日(日)
名前といえば

オートマタの題名(タイトル)は、「簡単、わかりやすい言葉、バカバカしい、」というのが好きだ。
題名まずありき、というのもあるぐらい。好きな題名が思いつくと、その題名をつけたいためにオートマタを考え、作る。

バカバカしいテーマのオートマタが良い。オートマタの原型を作り上げるには、一ヶ月ぐらいかかるのはザラだ。
バカバカしいテーマであるほど、コツコツ作る落差が滑稽となる。作る作業が滑稽だ。動かさなくてもすでに滑稽だ。


名前といえば、「辛酸なめ子(しんさんなめこ)」が良い。マンガ家、エッセイストらしい。
マンガも本人もみたことがないが、「辛酸なめ子」ときいただけで、笑いがこみあげてくる。
どんな顔をしているのか?どんなマンガを描くのか見てみたくなる。
いわば自虐ネタだが、これが良い。私もこんなペンネームが良かった。

もうひとり、「犬山イヌコ(いぬやまいぬこ)」も良い。舞台女優、声優らしい。
アホらしい名前が良い。イヌが重なるところが良い。

笑いの解説ぐらいクダラナイ話はないので、これでやめます。ご容赦。

ばんばよしひろ
2008年6月5日(木)
NHK総合「世界ふれあい街歩き」が良いですねえ!

NHK総合「世界ふれあい街歩き」が良いですねえ!
その街をしぜんに散歩する感じで構成されている。
テレビの旅番組は、感動だの、ビックリだの、大仰な構成ばかりだ。
それがテレビだといわんばかりだ。見るのに疲れてしまう。

6月2日の「世界ふれあい街歩き」は南仏モンペリエだった。
私が街歩きをしても、こんな感じというしぜんな内容だった。

そのモンペリエだが、どこを歩いても、石畳の道、あかるい黄土色の土壁(下は石か?)の家、
古い街並みが街中続く。
とても魅力的だ。私なら隅々まで歩きたい。これなら、観光客が来るだろうと思う!

どうして、ヨーロッパにはこういう古い、魅力的な街が多いのだろう(国の保護政策や石作りということもあろう)?
日本が誇る古都、京都でも、点々と建物と町並みがあるといった感じだが、
モンペリエは街全部がそれである。

歴史の古さにおいて、東洋はヨーロッパにひけをとらない。
東洋には「古いものを大切にしていこう」という思いもあると思うのだが、
なぜか、「街全部がそれ」というところは少ない(ほとんどない)

便利さが優先されてしまう。
古い町並みはこわされ、新しい、便利な風情のない町並みになってしまう(日本でも、中国でも)。
古い町並みを維持するのは、金や情熱など大変なことだが、それが価値観を生む。
大変なことだから、維持されると価値を生む。
古いというのはそれだけで価値なのだ。
ヨーロッパのそんな街の人は維持することを、誇りをもって楽しんでいるようにみえる。

私の故郷、名古屋でも、ここ数年、駅前地区に、なん棟もの新しい高層ビルが建てられた(当然、古い建物は壊された)。
そしてそれを良しとする報道がほとんどだ。(名古屋地区の好景気の象徴などと)
私は「ちょっと違うんじゃないの?」と思うのだが?

政府が「これから観光に力を入れる。外国からの旅行者を多くしたい。」などといっているが、
どうするつもりなのか?とくびを傾げてしまう。
古い建物は残す。市電は撤去しない。うどん屋の中華そばは作り続ける?云々 という法律でも作らないかね?

ばんばよしひろ
2008年5月30日(金)
うどん屋の憂鬱

うどん屋の憂鬱。
さぬきうどんの値上げ問題だ(さぬきうどん以外のうどん屋さんも同じだろう)。 
原料の小麦の値上がりで、うどんを値上げをするか?悩んでいる。

テレビのワイドショウで、うどん屋さんに小麦粉を卸す会社の営業部長が、うどん屋各店をまわっているのを見た。
小麦価格の値上がりがどの程度、うどん屋に影響しているのか見るためだという。
彼はうどん屋の厨房に入っていって、現状をきいたあとで、洗い場のどんぶりを洗っていた。
「すこしでも、お客様であるうどん屋を助けたい」というきもちの表れに見えた。
「私どもとうどん屋さんは一身一体なんです。」と言っていた。
その営業部長に栄光あれ!

そこで私の提案。
うどん屋はお客様に頭を下げ、手作りのチラシをわたす。
チラシには「ひいきにしていただいているお礼、値上げにいたったいきさつと現状、
この先、小麦の価格が下がった時は値下げする覚悟」が書いてある。

店には、今日の小麦相場の価格を表示する(黒板にチョークで書いてもいい)。
出来たら、今日の小麦相場に連動した値段とする(じっさいは、その日の相場が仕入れ価格に反映されるわけではないが、店の誠実な気持ちをわかってもらうため。)

私は、こんな時だから、値上げしてくれてかまわないと思う。
今まで、安くてうまいうどんを食べさせてくれたことに感謝しているからだ。
そしてそんな「安くてうまい、うどん屋」が生き延びてもらいたいからだ。
そのかわり相場価格が下がったら、そのときは、応援してくれたことに感謝して値下げをしてほしい。
そんなお客とうどん屋の心意気で乗りきってほしい!

ばんばよしひろ
2008年5月1日(木)
現代アートへの投資は・・・?

「現代アートビジネス」小山登美夫著、アスキー新書、¥743 を読み終えて。

私は今まで、一度も考えたことがなかったが、現代アートへの投資は良いと思った。

評価される前の作家の、自分の好きな絵(例えば絵、好きでもない絵は買わないこと)を買う。
信用のおける画廊の個展で買うのが良いらしい。。贋作を買ってしまう可能性が少ないためだ。それを家の壁にかけてながめて楽しむ。インテリアとして楽しむ。

もし、その作家の評価があがると、数年後に高く売れるかもしれない。(今は世界的に現代アートが注目されているので、大化けする作家もいる。)
高く売れたら、別の、自分の好きな評価前の作家の作品を買って、ながめて楽しむ。
といった循環だ。
おまけに、好きな作家への応援にもなる(経済的、創作意欲的に)。
評価が上がらなかったとしても、楽しんだ良さがある。

投資といえば、株が代表的だが、キャピタルゲイン(売買差益)を目標とする投資にくらべて、
(多くの投資家はキャピタルゲイン目当てだと思う。)アートは潤いのある投資だと思うのだが?

<おまけ>
本のなかで以外だったのは、美術館に並んででも展示作品を観るのは、日本人ぐらい。というよころ。
ということは、日本人は美術好きか?

ばんばよしひろ
                       
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