■BB BOX ハンドメイド からくり オートマタ
■BB BOX Modern automata Yoshihiro Banba
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 オートマタの構想は突然、うかんだりします。
適当な紙(チラシや袋など、なんにでも)に文字や絵でイメージをかきとめたりしています。

オートマタを作るには、(1)魅力的な構想がうかぶこと。
(2)魅力的なフィギアのデザインが決まること
(3)魅力的な動きの構想(しかけの問題がある程度解決させる)が決まること。
などがあると思っています。
それらが決まって作り始めても、原型を完成させるのに一ヶ月ぐらいかかるのはザラです。

構想はあるのに、なかなか完成しないことに焦れてきたりします。
そこで、うかんだ構想をイラストにして、このページで掲載することにしました。
なかにはオートマタとは関係のないイラストもありますが、楽しんでいただけたらウレシイです。


The design of automata appears suddenly.
I write it down to suitable paper.
I fret about taking time by the completion of automata.
Therefore, with the design that appeared as an illustration, I decided to carry it in this page.
If there is the design irrelevant to automata, but have enjoy it; glad.



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別のイラストのページもみて下さいね。 Please look at the page of another illustration.

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<芥川の肖像>
(水性マーカー、エンピツ、ポスターカラー、紙)

写真を見ていたら、「吸血鬼役がいいなあ」と突然、思った。
悪意があるのではなく、そう思った。

芥川龍之介である。

「着物で煙草を始終くわえ、眉間にシワをよせ原稿用紙にむかう。
気に入った文が書けないと、いらだって、原稿用紙を丸めて、そこら中を散らかす。」
というのが小説家のイメージだが(今はちがうかな?)
そんなイメージは芥川と太宰治がつくりあげたように思う。

外国はどうか知らないが、どうして同じ職業の人は似た格好をしているのだろう?
森鴎外、芥川、太宰、川端康成、も、はたまた、松本清張も、みな同じような着物を着た写真が代表的である
(時代小説を書く人は着物を着る必要があるが)。

これは小説家に限ったことではない。ロックバンドはジャンルによって同じような格好をしている。
例えば、ヘビーメタルの連中はみな同じように見える。

サラリーマンの場合はそうしないと都合が悪いこともあるから、しかたがないと思うが、
小説家もロックバンドのメンバーも、言わば個人商店主のようなものだから、
もっと好きな格好をすれば良いのにと思う。個性を尊重する職業?だと思うのだが・・・

よく「個性的な若者ファッション」などと言うが、若者は総じて個性的ではない。
同じような髪型、服、靴である。今も昔も。
「個性的」を恐れているようにも見える。

格好の話から書いてしまった。

私は芥川の書くものが好きだ(気取っているのではない)。
時代ものを書いても、むずかしい感じがしない。
時代もの的言い回しをしても、読みにくくない。

文には格調があって、おぞましい場面でもそれが崩れない。魅了される!
「芥川のような文が書けたらいいなあ!」と思うが、それが出来るくらいなら、そちらの道へ入っていたろう。

私がはじめて芥川を読んだのは「蜘蛛の糸」だった。小学校の教科書のような気がする。
その時も教科書には珍しくスリリングなSF的な感じがした。

年月がたって、活字中毒になってから読んだのが「蜜柑」「仙人」・・・だった。 短編だが、魅了された。
芥川の全てが読みたくなった(私はノンフィクション好きでフィクションは好きではないにもかかわらず?)。
今、芥川の本が数冊、枕元にある。楽しみなのだ。

A portrait of Ryuunosuke Akutagawa Who is a novelist.






<ラプラタ川のポケット戦艦>
(水性マーカー、エンピツ、ポスターカラー、紙)

イラストは1939年12月17日、
ウルグアイの首都、モンテビデオを出航するドイツ軍艦、「アドミラル・グラーフ・シュペー」です。
この 約1時間後、自爆、自沈しました。

「アドミラル・グラーフ・シュペー」は通称、ポケット戦艦(ドイツでは装甲艦)と呼ばれていた、同型艦3隻の3番艦。

第一次大戦に敗れたドイツ海軍には厳しい制限が課せられました。
その制限下で完成したのが、このポケット戦艦です。


異形の軍艦です。
排水量1万トン(実際は約1万5千トン)、 28cm3連装砲塔を前後に一基ずつ6門(28cm砲は制限いっぱい) 、
速力26ノット(ディーゼル)、
普通、戦艦の設計は自艦の主砲の攻撃に耐えうる装甲を備えるのが基本ですが、
「アドミラル・グラーフ・シュペー」(以下、シュペー)の装甲はそこまでない。

敵対するであろう、イギリス、フランス海軍艦艇の隙間をねらうような軍艦でした。

就役当時、「シュペー」が恐れる相手はイギリス海軍の巡洋戦艦3隻(レナウン級2隻とフッド)、
日本海軍の巡洋戦艦4隻(金剛級)でした
(飛行機は強力な軍艦を沈めることが出来ないと考えられていた)。

日本は当時、友好国でしたから、実際はイギリス海軍の巡洋戦艦3隻でした。

「シュペー」は敵が砲力と装甲にまさる戦艦の場合は、その速力で逃げ(当時の戦艦は23ノット程度)、
敵が速力にまさる巡洋艦の場合は、その砲力で撃破します(当時の重巡洋艦は20cm砲装備)。
絶対優勢のイギリス、フランス海軍にいどむ隙間軍艦と言えたかもしれません。

第二次大戦のドイツ海軍の基本戦略は通商破壊戦でした。
海洋貿易国であるイギリスの急所は、今でいうところのシーレーンにあるとにらんだのです。
ドイツ海軍のめざす獲物は輸送船だったのです。

だから、ドイツ水上艦艇は敵の軍艦との戦闘には消極的で、劣勢の敵に対しても戦闘を避ける方針でした。
私の知る限り、ドイツ海軍が積極的に軍艦同士の戦闘を許したのは 
作戦名「ライン演習」のみです(当時、世界最強といわれたドイツ戦艦ビスマルクが参加した)。

第二次大戦の日本海軍は「丸腰は撃たない!」と輸送船攻撃を馬鹿にしていました。
陸海軍とも、自軍の補給に関しても、敵の補給に関しても、びっくりするくらい甘くみていたのです。

日露戦争の日本海海戦での大勝利が負の成功体験になっていたのではないでしょうか?
資源貧乏国の軍隊が考えることとは思えません。

太平洋戦争の中期以降は、アメリカ軍からの徹底したシーレーン攻撃が行われました。
シーレーンが日本の急所だということを、よく知っていたのです。

日本の海軍兵学校は当時のエリート中のエリートしか入れない学校でした。
海軍のリーダーを育成する学校です。
兵学校出の、当時、世界最強の艦隊(と思う。一航艦のこと)の参謀が考えていたことが「丸腰は撃たない!」ですから、
優勢な敵(アメリカ)に勝てるわけがありません。最強の国、アメリカをなめたものです。

兵は一流(勇敢さにおいて)、指揮官二流、政治は三流、と揶揄されたことも、しかたありません。

一流大学出のエリート官僚が多額の学費(一部は税金)と時間をついやして学んだにもかかわらず、
国や国民のことより、組織と自分の利益に執着しているのと、どこか繋がっているような気がします。
学校での成績で能力を測るのは止めた方がいいと思う!

脱線してしまいました。

シュペーは第二次世界大戦がはじまると、単艦で通商破壊作戦を行います。

1939年9月30日を皮切りとして、大西洋、インド洋で多くの商船を沈めます。
商船を発見すると、優速を利して近ずき、停船を命じます。その乗組員をシュペーに収容すると、大砲か魚雷で撃沈しました。
まだ、紳士的な戦さが通用していました。

シュペーが活動しているのがわかったイギリス海軍は、戦艦3隻、空母4隻、巡洋艦16隻からなる対策部隊を編制し、
シュペーの探索にあたりました。

1939年12月13日、シュペーはイギリスのG 部隊に補足され、交戦します。ラプラタ沖海戦です。

G 部隊は重巡洋艦エクゼター(20cm砲装備)、軽巡洋艦エイジャックス(15.2cm砲装備)、
軽巡洋艦アキリーズ(15.2cm砲装備)の3隻です。
(注、1942年、エクゼターは日本艦隊と交戦して撃沈されます。)

12月13日、05:52 シュペーは右舷前方約31,000mに敵艦のマストを発見。
シュペーはG 部隊を商戦を護衛する軽巡洋艦と駆逐艦(2千トンぐらい、12.5cm砲装備)と誤認して接近。
06:10、それらが重巡洋艦1隻、軽巡洋艦2隻であると確認。

06:17 シュペーは距離17,000mで軽巡2隻に対し砲撃を開始。06:20 エクゼターがシュペーに砲撃を開始。
06:25 シュペーはエクゼターに攻撃を集中。この砲撃でエクゼターは大破、

06:50 エクゼター 戦場を離脱。07:25 エイジャックス中破。
07:40。エイジャックスとアキリーズは追撃を中止。煙幕を張り東へ反転。シュペーも小破してラプラタ川へ向かう。

砲撃開始から1時間23分の戦闘でした。
驚くのは、砲撃の命中精度です。わずか、25分間でエクゼターを戦闘不能にしたのですから。

砲撃は敵との距離を正確に測ることが必要なのですが、
ドイツは光学機械が発達していたからだろう(艦船レーダーは実用域まで達していなかったようだ)か?
第一次大戦のころから、ドイツ艦船の砲撃は正確だった。

シュペーは修理目的で、ウルグアイのモンテビデオに入港します
イギリスのエイジャックスとアキリーズは港外で待機。

当時、ウルグアイは親独派の中立国でした。
中立国での滞在制限は24時間だったそうですが、ドイツもイギリスも滞在の延長をウルグアイ政府に求めます。
ドイツはシュペーの修理時間をかせぐため、イギリスは増援部隊の到着時間をかせぐためです。

ドイツとイギリスはモンテビデオで情報戦を展開します。
結局、72時間の延長が認められました。

シュペー艦長ラングスドルフは、巡洋戦艦レナウンを含む有力なイギリス艦隊によって港を封鎖されてしまったと判断
(これはイギリスの偽情報だった。この時点で援軍は着ていなかった。)

港からの退去期限12月17日、18:00 シュペーはモンテビデオを出航。乗員をドイツ商船に移乗させ、
19:28、モンテビデオ港外で装着した艦内の爆薬が爆発し「アドミラル・グラーフ・シュペー」は擱座、自沈。
この様子は世界に向け実況ラジオ放送されました。

シュペー自沈の原因は、もうひとつあったらしい。
シュペーの燃料系統に損傷があり、巡洋艦との戦闘すらおぼつかない状態だったということです。
なお、ラングスドルフ館長は自ら自沈の責任を取り、
19日に逗留先であるアルゼンチンのブエノスアイレスで軍艦旗を身にまとい、ピストル自殺を遂げました。

イラストは自沈を覚悟して出港するシュペーと見守る市民としました。
当時、モンテビデオはこの話でもちきりだったことでしょう?
イラストのような景色が実際にあったかどうかはわかりません。私の想像です。

余談ですが、2004年、民間投資家とウルグアイ政府が資金負担してシュペーの引き上げ作業を計画しました。
2007年に終了。引き上げられた物には高値がついたそうです。

自沈したところは8m程度の水深だそうで(素もぐりでも潜れそう?)、
そうするとシュペーの高い構造物などは海面スレスレまであったのではないでしょうか?

余談ですが、ナチスの台頭を嫌った多くのドイツ人が南米に移住したそうです。
ウルグアイが、当時、親独だったのは、そういった背景があったのかもしれません?
南米のタンゴに感激したドイツ人がヨーロッパにタンゴを広めて、それがコンチネンタルタンゴになったのでしょうか?

余談ですが、あのジャクリーヌの旦那、大金持ちのオナシス氏はモンテビデオから内陸への河川輸送で大儲けをして、
その基礎を築いたと言われています(たしか?)。

ラプラタ川は大河ですが、モンテビデオから内陸へは大きな船は航行出来ないそうで、
モンテビデオで内陸用の船に積み替えて運ばなければいけないそうです。
これに眼をつけたのですね、オナシスは。

長くなってしまいました(ホンマやね!)
このあたりで終わります。

December, 1939
Admiral Graf Spee in Montevideo






<白日夢>
(水性・油性マーカー、ポスターカラー、紙)

「あれ?、トーストを左の奥歯で噛みしめるとイヤな感じがする。」
試しに、右側でも同じように噛みしめてみる。こちらは大丈夫。

医者に行くのを迷ったが、歯を気にしていると、食べる物がウマクないので、シブシブ歯医者に行った。

調べた結果、左奥歯に初期の虫歯が見つかった!
虫歯の進行を止める薬をつけて、様子をみることになった。

歯を削ることもなかった。こんな治療を受けたことは初めてだ。
初期に治療をすれば、あの嫌な「ギーン」(歯を削る音)をしなくていいかもしれないことがわかった。
大きな収穫だった。

私は歯医者が嫌いです(どんな医者も嫌いだが)
学生のころ、名古屋市大須の歯医者の待合室で、順番を待つ間、
他の患者の治療中の音をきいていたら、きもちが悪くなった。
恐怖のあまり貧血ぎみになったのだ。

受付に申し出たら、奥にある手術台(だったと思う。手術台だから恐怖の妄想がふくらむ)に寝かされた。
医者は「やっかいな患者だなあ!」と思ったことだろう。

最近になって、わかったことだが、「ギーン」をされている間(歯茎に麻酔注射をするとき、抜歯するときも)、
私は呼吸をしていない(恐怖に備えるため)。

体に力がギンギンに入っている。手に汗をかくほどだ。
脳の近くで振動や高速回転音。歯の治療は脳に近いため、脳が拒否反応をおこすのだと思う。

呼吸停止からくる酸素不足、
歯を削る時に出す水が喉にたまってきて、飲みそうになるのをこらえること。
「ひょっとして、グラインダーが神経に触れるのでは?」という妄想?(もし触れたら、痛さで失神するのでは?)
削るときのかすかな嫌な匂い。などが重なって脳がパニックになっているのだ。

たまに、前歯を抜けたままにしている人がいるが、「歯の治療が嫌でそのままにしているのだろう?」と想像する。
イタイほどよくわかるが、見てくれ重視?の私としては、それもできない!

誤解がないように書きますが、私の行きつけの歯医者は信頼にたる医者だと思っている。
治療の痛みを極力、少なくする努力をしているし、説明もしっかりとしてくれる。
難点があるとすれば、明るい感じがしないことぐらいかな?

患者である私も歯医者にかかるときは、この世の終わりのような顔をしているだろうから、
ミラーの原理がはたらいて、医者も笑顔がつくれないかもしれないが?

A daydream.
I dislike dentists.





<夢まぼろしのごとく・3  影>
(水性・油性マーカー、紙)

影武者と言えば、黒澤明の映画が有名だ。
武田信玄には数人の影武者がいたといわれている。

戦国大名には信玄にかぎらず、影武者がいたことだろう。
たとえば、豊臣秀吉には7人いたといわれている。

余談だが、
江戸時代、将軍の近くを警護するものには、高級な黒チリメンの羽織が支給された。

将軍に危険がせまると、何人もの警護のサムライが、この羽織に着替える。
すると、だれが将軍かわからなくなってしまうというものだった。これも影武者だろう。

影武者といえば、北の将軍様のことが取り沙汰されている。
直近のTVで報道された、病み上がりといわれている将軍様は本物なのか?影武者なのか?

もし影だとすると、病み上がりの影の姿をどうして公開したのか?

敵対する国をだますためか?
ひょっとすると、各国の反応を見て、本物は腹を抱えて笑っているのかもしれない?
もうすでに将軍様は死んでいて、影しかいないのか?想像がふくらむ。

イラストは南蛮胴の当世具足をつけた信長の影武者とした。
幕の裏側で、本物の信長が「あいつめ、なかなかやりよる!」とほくそ笑んでいる。
信長の影武者については資料がないようだが、いたにちがいない。

想像をふくらませれば、歴史上の信長のエピソードのいくつかは、影武者が演じたのかもしれない?
あれも?あれも? あのことさえも?

A dummy general of Nobunaga.
Is this man ordering the fight genuine? Or is it a dummy general?

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