■BB BOX ハンドメイド からくり オートマタ
■BB BOX Modern automata Yoshihiro Banba
イラスト 4 The illustration 4
Home Site map 作者 Author 作り ギャラリー The gallery
e-mail

<< 54 >>
別のイラストのページもみて下さいね。 Please look at the page of another illustration.

New !


< フェアリーテール・妖精のしっぽ >
(水性・油性マーカー、紙)

前から気になっていた言葉、フェアリーテール
「妖精のしっぽ、か、いいなあ!すこしユーモラスで、幻想的!」と思っていた。長いことそう思っていた。
いつか、そのネタでなにか作りたい(画きたい)と思っていた。
まずはイラストと、このイラストを画いた。

ウェブサイトに掲載する前に、英語のスペリングの確認をした。「エッ?」である。
「フェアリーテール」は「妖精のしっぽ」ではなく、「おとぎ話・説話」のことなのだ。
Fairy tailではなく、Fairy taleなのだ。
画いてしまったものはしょうがない。「フェアリーテール=妖精のしっぽ」ということで掲載する(強引なやっちゃなあ!)。

話は飛ぶ。私はレシプロ飛行機大好きオジサンだ。
第二次大戦中のイギリスに、フェアリー・ソードフィッシュという艦上攻撃機
[航空母艦に搭載され、主に、水平爆撃、雷撃(魚雷を積んで攻撃する)を任務とする飛行機] があった。
ソードフィッシュを詳しくはこちら↓
http://military.sakura.ne.jp/world/w_sord.htm

使いやすいので、多用途に使われた。輝かしい戦歴ももっているが、太平洋(日、米)の艦上攻撃機にくらべると旧式だった
(第二次大戦前半、日本海軍の97式艦上攻撃機が艦上攻撃機のベスト)。
97式艦上攻撃機を詳しくはこちら↓
http://military.sakura.ne.jp/ac/kate.htm

ソードフィッシュは単発3座(エンジンがひとつで3人のり)、複葉(二枚羽根)、鋼管骨組みに羽布張り(布張り)、固定脚。
97式艦上攻撃機は単発3座、低翼単葉、全金属製、引っ込み脚、である
(性能は97式艦上攻撃機より劣るが、米海軍のTBDデバステーター艦上攻撃機も似た内容だ)。
デバステーターを詳しくはこちら↓
http://military.sakura.ne.jp/world/w_tbd.htm

1942年前半、セイロン島近くで交戦した日本海軍の戦闘機パイロットが
「イギリスがまだ、複葉の飛行機を使っていることにおどろいた。」と言っている。
大西洋でソードフィッシュが活躍できたのは、敵であるドイツやイタリヤの海軍航空戦力が圧倒的に貧弱だったからで、
航空母艦の運用が進んでいた太平洋戦域では使い物にならなかっただろう。

余談だが、このソードフィッシュの後継機として開発されたフェアリー・アルバコアは
密閉キャノピー(風防)になったものの、複葉、固定脚である!
レーダーでは世界を10年はリードしたが、艦上攻撃機では8年は遅れていた。イギリスの不思議なところだ。

脱線したが、このソードフィッシュのイメージが強く私に影響した。
「さすが妖精の国イギリス、戦争にも優雅な複葉機を登場させた。
軍用機を作る会社にフェアリー(妖精)とは粋な社名だ!」と思いこんでしまった。
じつは、フェアリー社はFairey、妖精はFairy、で一文字すくない。フェアリー社は妖精社ではなかった
これも最近、気がついた。

ソードフィッシュのこともあって、ユーモアと幻想が好きなイギリス人だから
「フェアリーテール=妖精のしっぽ」と私は思いこんでしまった。
なにかの例えに、「それは妖精のしっぽだね」などとイギリス人が言っているのでは、と想像してしまったのだ(強引な性格)。

"Fairy tail"
I was mistaking fairy tale for fairy tail for a long time.
The British naval biplane in World War II, Fairey swordfish are causes of my misunderstanding.
I still think that the fairy tail is attractive words.





<世の中は食うて糞して寝ておきて、さて、その後は、死ぬるばかりよ。>

(水性・油性マーカー、紙)

タイトルは一休宗純の言葉だ。
「人生に意味などない。」ということだと私は思っている。

『生きがい、目標など、持つな!
そんなものは、知らないうちに、擦りこまれてしまったものなんだよ。
「生きがいを持たなくちゃ、目標をもたなくちゃ」と苦しむなんてアホだ!もっと自由に生きろ!自分本位であれ!』
と言っているようにも思える?

これも、一休宗純だから、「ウーム、含みがある言葉だなあ!」なんてことになるが、
私が同じことを言っても、「なに言ってるの、バカみたい!」てことになる(やっぱり)。

一休宗純(いっきゅうそうじゅん)応永元年1月1日!(1394・2・1)〜文明13年11月12日(1481・12・12)
室町時代の禅僧。
後小松天皇のご落胤とか、足利義満の子という説がある。

一休といえば、テレビのおかげで、「かわいくて頭の良い(こまっしゃくれたガキ?失礼)一休さん」のイメージが強い。
「一休さん」は一休宗純をモデルとして創られたということだが、冒頭の言葉からしても、
史実の一休宗純はそんなタマではない。
世の常識をわらい、その矛盾を皮肉った破戒僧だ(見方によるが)。
常識を盾に、既得権益をまもりたい当時の権力には、こまった大物僧だっただろう?

ところで、イラストは言葉どうりでひねりも無く、そのまんまだ(彼の言葉がすでにひねりがあるから)。
彼には肖像画の傑作が残っている

(↓Wikipediaの一休のページです。肖像画ものっています。)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%BC%91%E5%AE%97%E7%B4%94

これより若い時代の他の肖像画をみても、絵を画く決まりごとにしばられているためか、肉薄していないのがほとんどだ。
肖像画をみてほしい(上記Wikipediaの)、「こんなオジサン、どこかで見たな?」という現実感がある。
そこには「カッコよく画いてあげよう」などという陳腐な気使いはない。きもちいい!
これを見た一休は、「これはオレだ!」と笑い転げ、絶賛したのではないだろうか?

実は、この肖像画の模写に挑戦してみた。いつか、模写をネタにしたイラストを画こうと思っている。

"The life, appetite takes a shit and sleeps and is up and, by the way, dies afterwards"
As for "the life, appetite takes a shit and sleeps and is up and, by the way, dies afterwards",
and it is the words of Sojun Ikkyuu.
"The life does not have meanings". "And I interpret it.
In Japan, a story of "the Ikkyu of the pretty, bright child" is popular.
This story is a story unlike the historical fact arranged Sojun Ikkyuu into as a model.
Genuine Sojun Ikkyuu thinks me to compare it much more attractively.
He is known by having made a cynical remark on then common sense severely.

● Sojun Ikkyuu (from February 1, 1934 to December 12, 1481).
He is a Zen priest of the Muromachi era.
He has an opinion called the child of illegitimate childof the Emperor Gokomatsu or Yoshimitsu Ashikaga
(Syougun)




<正義の裏の顔 "The justice" has another face. >
(水性・油性マーカー、ポスターカラー、紙)


「正義!正義!」と叫ぶ奴は胡散臭い。「正義」には、もう一つの顔がある。
国家が言う「正義のため・・・」は、もっと胡散臭い!

「正義」を象徴的に画こうとすると、なかなかむずかしい。
日本では「正義」の象徴が思いあたらない。しかたがないので、西洋的象徴にした。
西洋では「天秤を持つ女神」が象徴らしい。イラストは若い男になっているが、剣をもっている裏の顔を画くため、男とした。

ずいぶんと前だが、「逃亡者」というアメリカ製テレビドラマが人気だった。
(ハリソンフォード主演で映画にもなったから、ご存知の方もいよう?テレビのほうが良い!)
デビット・ジャンセンが演じる、医者のリチャード・キンブルが妻殺しの無実の罪のため、アメリカ中を逃げ回る。

その、先々で、慣れない仕事(逃亡中なので、仕事を選んでなどいられない)をしながら、
行きがかりで人を助けたりするのだが、
執拗に追いかけるジェラード警部の気配を感じて、夜の街を長距離バスにのって逃げる(そのやるせなさが良いのだ)。
そして真犯人を追う(二重の追跡劇になっていた。)。

観ている方は彼が無実ということを知っているし、医術で、困っている人を、やむおえない事情で助けたりするので、
「早く無実になって欲しい」というもどかしさがある(観ている方は、皆、味方になって、感情移入してしまうのだ)。
そこが良かった。
リチャード・キンブルを睦五郎が吹き替えているのも良かった(抑えた声使いが絶妙)。

「逃亡者」の説明が長くなってしまった。
その最初に毎回、「正しかる正義も、盲しいるときがある」というナレーションが流れ、
目隠しをして、天秤を手にした女神のブロンズ像が映る。のを思いだした。
西洋では「天秤をもつ女神」が「正義」の象徴らしい。

"The justice" has another face.
"The justice" is suspicious.
"The justice" has another face.
When a nation appeals for "justice", I am more suspicious.




<夢まぼろしの如く その2 墨を塗っているのではないか?>
(水性・油性マーカー、ポスターカラー、紙)

日本人が始めて出会ったヨーロッパ人は、16世紀にやって来たキリスト教の神父達だろうと思われる。
寛文年間の「切支丹退治物語」(すごいタイトルやね!)に
「人間の形に似て、さながら天狗とも、見越し入道とも名のつけられぬもの・・・・よくよく尋ねきけば、伴天連というものなり。
・・・・面態のすさまじきこと、荒天狗と申すとも、かようあるまじきと、人皆申しあえり。
その名を宇留岸、伴天連(うるがん、ばてれん)と言う。」と書かれているらしい。

まるで異星人。未知との遭遇ですな。初めてヨーロッパ人を見たのだから、さもありなん。
今でも「どうなっているの?その高い鼻?」と私は思うことがあるくらいだから。
実は、この宇留岸氏こそ、イエズス会京都教区長、ニェッキ・ソルディ・オルガンチーノ神父(イタリヤ人)だった。
彼は日本人に非常に好意をもって接したため、日本人も彼を宇留岸様(うるがんさま)とよんで慕ったと伝わっている。
日本人を軽蔑し、嫌った日本布教長フランシス・カブラルとは逆だった。

天正九年(1581)二月二十三日、
本能寺で、東インド管区巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノは織田信長に謁見した(信長が本能寺で亡くなる前年)。
京の町衆は、ただでさえ珍しい南蛮人のところえきて、その従者(ポーターだったかも)の黒人にビックリしてしまう。
宿舎である南蛮寺に多くの人が押しかけて、大騒ぎになったらしい。

信長研究の良質資料「信長公記」に
「天正九年二月二十三日、切支丹国より黒坊主参り候。年齢は二十六、七と見えたり」と書かれているらしい。
ウワサは信長にも達し、信長は見たいと所望。謁見は実現。

信長は近習に彼の上半身を裸にして(二月初旬だから、寒かっただろう?)、濡れた手ぬぐいでゴシゴシこすらせた。
「墨を塗っているのではないのか?」と疑ったのだろう。手ぬぐいでこすっても黒光りするだけの体に、信長は納得、
豪華な贈り物に見向きもしないで、この黒人を所望した。
信長は黒人に警護の者をつけ京市中を巡回させて、町衆にお披露目をしたそうである。
信長はこの黒人に「弥助」と名乗らせ、厚遇したらしい(馬周りとした説もある)。

その後、弥助は「本能寺の変のとき、長刀(なぎなた)をもって奮戦した。」とか
『二条城で抵抗した信長の嫡男、信忠とともに戦ったが、降伏して取り押さえられた。
光秀は「このものは何も知らぬし、日本人ではない。バテレンに引き渡せ」と命じた。』などの説がある。
この話は以外と知られていない(歴史好きな人なら知っているだろうが)。信長らしい逸話だ。

イラストの黒人はボビー・オロゴン風の黒人になっている。
エチオピア人という説もある(エチオピアの王子だという説もあるが、話を面白くするためのでっち上げだろう?)。
もしエチオピア人だとすると、ちがう人物を画いたほうがよかった(アベベやゲブレセラシエのような)。

黒人は何度も画き直したのでゴリゴリになってしまった。白絵の具(ホワイト)で直しながら画いたため。
黒人は楽に画けるとナメてかかったのがいけなかった。
練習をして、「これならいける!」というところまでツメてから画いたほうが良かった。反省。

実際、信長は強い興味をもったと思うが、イラストのように、近くで信長がシゲシゲと黒人を見たかどうかはわかりません。
後ろの世界図屏風は象徴的なので画き入れた。神戸市立博物館の「世界図屏風」(江戸初期)を参考にした。
地図を画くのは難しい。適当に画いているとツジツマが合わなくなってくる。
当時は北アメリカの上の方などは判らないので、ごまかして画いてある。
海に帆船を画きこんで貿易風を表しているようだ。

信長の近習が一人しか画いていなかったり、神父が一人しか画いていなかったりしているが、
実際は多くの近習、伴天連関係者がいたことだろう。お手数だが、ご想像ねがいたい。

(注) 私の好きな山本茂著「つい他人に話したくなる歴史のホント250」知恵の森文庫、を参考資料にしました。

The Negro of the first time in Japan
It will be "Shintyoukouki" that a black was delivered for Japanese historical documents for the first time.
When a missionary had an audience with Nobunaga in 1581, the black accompanied it.
He became the sensation in Kyoto of those days. Nobunaga liked him and wished for him without taking notice of a luxurious present of missionarys. I let an attendant rub it with a Japanese towel when Nobunaga undressed his upper part of a person's body. Nobunaga suspected that he painted a body with a sumi. The doubt of Nobunaga cleared immediately. Nobunaga gave him a name and gave you warm reception. The name was "Yasuke".

● Nobunaga Oda(1534-1582)
He was several countries of kings, is a progressive politician and is a military high command.
● "Shintyoukouki" is a high quality document of Nobunaga Oda.
● I drew the world figure screen of the background as a symbol.
I referred to the screen of the Kobe Municipal Museum storehouse in Japan.
● Only four people are drawn on the illustration, but actually a lot of attendant and missionary of Nobunaga think that I was.

<< 54 >>
別のイラストのページもみて下さいね。 Please look at the page of another illustration.

Home e-mail このページのトップへ To the top of this page
▲当インターネット上の情報を許可無く複製・改変及び放送・有線送信などに利用する事を禁止いたします。
All duplication and modification without permission are strictry prohibited All rights reserved.
Copyright(C)2004 BB BOX All Rights Reserved.